鯉川支店WEB
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当店について

当店について

山形県東田川郡余目町の鯉川(鯉川酒造株式会社)は江戸中期の創業ですが、明治になって荘内全域の販売に注力すべく元城下町鶴岡にもその拠点を求めました。今の蔵元(11代佐藤一良蔵元)より遡ること三代前の当主直之助(なおのすけ)は明治42年実妹於もと(をもと)を西田川郡鶴岡町十日町十番地に居住させたのです。営業支店としての鯉川支店、これが当店名の始まりです。当時の資料は現在発掘中ではありますが、地元町人への販売、そして米替え(荘内南部の農家との酒米物々交換)を主な営業内容としていたようです。当時の配達用と思われる樽の類は現在も店頭に飾ってあります。なお、同時期に鶴岡と列ぶ荘内の雄、酒田にも鯉川支店が設けられました。残念ながらこちらは現存しておりません(親族の経営ではなかったようです)。

このように当家は蔵元家とは本家分家の関係で、当店佐藤伸浩(のぶひろ)は蔵元とははとこ(庄内風に言いますと又従兄弟)の間柄となります。現在は資本関係などは無いものの本家との関係に歴史的意味を大いに感じる為、屋号はそのまま鯉川支店です。また、親戚間では本家を余目、鶴岡工場を上肴町(かみさかなまち)、当店を十日町(とおかまち)と通称するのが普通です。上肴町、十日町ともに現在の鶴岡の住居表示からは消えてしまいましたが、地元では今でも十分に通用しています。表紙の住居表示の通り、現在当店の辺りは本町二丁目となっており、鶴岡工場は本町三丁目に入ります。余談ながら、余目町は平成17年7月の立川町との合併により、庄内町、となりました。

昭和期に入り当店も一般の酒販免許を持った小売店となった為、以降は庄内のお酒や食料品などを幅広く扱う普通の酒屋さんになり今に至りました。この間建物は火事消失一回、大戦末の強制建物疎開による取り壊しを経、昭和21年に今のものに替わりました。よく今の当店をご覧頂いた方々の中にはかなり古い建物なのではないか、と御質問になる方がおられますが、それほど年月を経た建築ではないのです。ただし、戦前に立てられた時の材料をかなり転用してあるため、まだ建てられて20年程度しか経っていなかった昭和40年代に、既に昔っぽい建物の様相をしてしていたことは当方も良く覚えております。

平成13年、半世紀以上に渡り店を気丈に保持してきた3代目静子が病に倒れてしまいましたが、孫である伸浩が継承させて頂きました。気がつくと10年が経ち、11年目に入っております。よろしかったらのぞいてくださいませ。

毎度ありがとうございます。

佐藤伸浩(平成24年9月10日若干更新)

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